鮭の遡上と手取川の歴史探訪

加賀百万石ウォークが主催する観察会に参加してきました。
JR北陸線・小舞子駅に集合して、近くの小舞子海岸に出向きました。
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日本百選の海岸に選ばれていますが、手取川から運ばれる長い砂浜が続いていましたが、今は侵食されて狭い砂浜がある何もない海岸(夏は海水浴場)です。
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近くの流れる手取川はこの時期、水産試験場で孵化されて放流されたシロザケが3~5年の月日を経て、この時期に戻ってきて、手取川の支流の熊田川から遡上して、試験場の狭い水路の段を何段も飛び上がって来ます。
回帰してくる魚は放流した稚魚の数の約3%だとかで、シーズンに約2~3000尾が捕獲されています。
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まだ水温が高いので、今日は群れを成して遡上するする様子は見られませんでしたが、早朝に5尾遡上してきたものを捕獲して、水産総合センターでは採卵をして孵化させていました。
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また、手取川では水産資源保護の目的で、期間と人数を決めて、鮭のフィッシング大会を催しています。
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堤防の鳥観舎から対岸を見ると、たくさんの車が停まって、川の中で鮭を釣り上げている人の姿が見られます。
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メスは採卵の為に係員に渡さないと駄目ですが、オスは2匹まで持ち帰ることが出来ますが、川を遡上してくる鮭は美味しくないと言われていますが、傷だらけになって、可哀想な感じもします。
手取川は鮭の成育する南限の地になっています。

また、この手取川一帯では天正5年(1577)に上杉謙信と織田信長軍の戦いがあって、七尾城を攻略した勢いに乗じて南下をして、この手取川に織田軍を追い込んで大打撃を与えて、退却させました。
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その様子を後世の人は「上杉に逢ふては織田も名取川(手取川)はねる謙信逃ぐるとぶ長(信長)」と狂歌に詠んでいます。
謙信は関東情勢が気にかかっていたので、織田軍を追撃しないで、一旦越後に帰国して、関東を平定した後に上洛する考えを持っていましたが、春日山城で病死しました。
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また、この碑の横には県下有数の北前船主として熊田源太郎が、大正11年に私財を投じて設立した呉竹文庫があります。
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約1万3千冊の蔵書には百年近く前の書籍も含まれていて、美術品、古文書等も所蔵し公開されています。
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by hirospace | 2008-11-02 19:41 | 登山 | Comments(1)  

Commented by 誰やねんっ20号(帰宅ちう) at 2008-11-03 10:05 x
そおでした。手取川は鮭が遡上するんでしたね。
満ち潮で海が高速道路の下まで来る河口から上がっていくんでしょうね。
うーむ。見て見たいなー。

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