源平ゆかりの地を訪ねて・・実盛編

源平の壮絶な戦いは今から800年余り前のことです。
数々の悲劇と伝説を残し「盛者必衰」の歴史は、
今もなお日本各地で語り継がれていますが、
南加賀にも源平ゆかりの様々な史跡や伝説が残されています。

平維盛が木曽義仲に敗れた篠原の合戦で、
老武者・実盛は退却もせず一騎奮戦するのですが、
木曽方の手塚太郎光盛と組んだ末に討ち死にします。

 源平の戦いが パネルの絵巻物で物語風に説明しています

大将かと見れば続く軍勢もなく、一武将にしては高貴な衣装を着け、
決して名前を明かしませんでした。

 木曾義仲と家来による 実盛の首実験
不思議な武者と思った光盛は義仲に首を差し出すと、
実盛を知る樋口次郎は一目で実盛とわかり
「あな むざんや 斉藤実盛で候ひけり」と涙します。              
白髪混じりの髪を染め、前主君・源頼朝に拝領した兜を付け、
現主君・平宗盛に許された出で立ちで故郷に錦を飾った実盛でした。

 鏡の池と銅鏡の説明

実盛が髪の毛を染めた「鏡の池」が北陸道(木曽街道)脇の部落に今も存続して、
その時に使われた8cmほどの手鏡(銅鏡)が池に沈められて保存されています。

実盛の首を洗ったという池(首洗い池)も篠原古戦場近くにあって、
500年後に芭蕉が訪ねたときに詠んだ「むざんやな 兜の下の きりぎりす」
の句碑が立っています

古戦場近く篠原町には立派な実盛塚がありますが、
時宗(当時・北陸の宗教は大半がこれでしたが、
蓮如上人らによって浄土宗が後に広まりました)の
遊行上人が実盛の亡霊を慰め、以後供養されています。
最近は実盛の最後が潔く、素晴らしい人物として、
地元の人によって「供養祭」が催されています。

また、実盛が付けていた実際の兜は多太神社(小松市)の
宝物館に保管をされ、往時の輝きを偲ぶことが出来ます。

 多太神社
芭蕉も「奥の細道」で紹介していますが、
兜の中央には八幡大菩薩の神号が浮かび上がっています。
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by hirospace | 2005-03-28 17:03 | 祭事 | Comments(0)  

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