仏御前の白拍子
そして、小松市・原町には仏御前の墓と屋敷跡が残っています。
命日には仏御前祭りが営まれ、その尊像の前で、仏御前が京に上がった年齢(15歳)と同じ年の地元の中学生によって白拍子の舞が奉納されています。
また、村社の秋祭りには奉納に引き続き、原町会館前に設けられたステージで「座・白拍子」が舞われています。
「萌え出づるも枯るるも同じ野辺の草いづれか秋にあはではつべき」
春に草木が芽を吹くように、仏御前が清盛に愛され栄えようとするのも、私が捨てられるのも、しょせんは同じ野辺の草、白拍子なのだ。どれも秋になって果てるように、誰が清盛にあきられないで終わることがあろうか。
祇王が襖に泣く泣く書き付けた一首の歌に、仏御前は無常を感じ、やがて祇王を追い、出家の道を選ぶのでした。
また、京から郷里に戻る途中、福井県勝山市にある「仏御前の滝」では顔や髪を洗ったとされる由縁があります。
by hirospace | 2015-09-14 19:58 | 祭事