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塩の道祭り

古くは日本海の塩を内陸部に運ばれた「千国(ちぐに)街道」を「塩の道」と呼ばれています。

千国街道の名は、古くは北陸道からは姫川沿いに遡上し、安曇野・松本平を縦貫して、信州の東山道、木曽街道へ通ずる道でした。

近世にあっては、松本城下から糸魚川までの120kmの間を、越後では松本街道、信州では糸魚川街道と呼ばれ、信州と越後を結ぶ動脈として塩・麻などの物資が牛馬と歩荷(ぼっか)によって運ばれていました。

この地域は豪雪地帯である上に険路が多く、物資の輸送は難渋を極めたので、華やかな大名行列や参詣路としての賑わいはありませんが、

安曇野の豊かな田園地帯を貫き、仁科三湖(木崎湖、中綱湖、青木湖)をめぐり、北アルプスを仰ぎうつくしい風向の地を辿っています。

戦国時代、越後の上杉謙信が甲斐の武田信玄に「敵に塩を送る」という美談で知られているのも、この街道を牛馬の隊列を作って運んだのです。

塩の道祭りは5月3日小谷村、5月4日は白馬村、5月5日は大町市の3地区で約10kmの道を歩くのですが、

「昔の旅姿をして、歴史の道を歩く」という白馬の観光協会が企画するエキストラとして参加して来ました。(100名ほど?)
一般の歩くツアーに参加されている方のほうが多くて、参加者は2000人ほどです。


僕は歩荷に格好をして歩きましたが、意外と似合っている?ような気がしました。(この姿に憧れもありました)


エキストラの人たちは他に、お百姓、町人(娘)、侍の格好など様々でした。


途中、花嫁行列も加わって当時の面影をかもし出していました。


地元の小学生「白馬っ子」たちとも触れ合いも楽しかったです。


途中では村の人からは途中の休憩所で山菜おこわ、団子、蕎麦、甘酒、漬物などを振舞って頂きました。


また、味噌を塗りつけたおにぎりのお弁当はとても美味しかったです。


東京から参加されていたMさんの素敵なお家族にはすっかり仲良しにして頂いて、一人ぽっちの僕には楽しい時間が過ごせました。(ありがとうございました!)
元くん(4歳)・・すごく元気な可愛い子で、自分の足で完歩しましたのは驚きました。


天気にも恵まれて、遅れた桜が咲いて、残雪の北アルプスの山々(後立山連峰、白馬三山)が美しかったです。

通行手形、完歩証、記念品と余暇に作ったわら細工など・・お土産一式

by hirospace | 2006-05-05 19:22 | 祭事  

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